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シェルビー郡 (オハイオ州) : ミニ英和和英辞書
シェルビー郡 (オハイオ州)[しぇるびーぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
オハイオ : [おはいお]
 【名詞】 1. Ohio 2. (n) Ohio
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

シェルビー郡 (オハイオ州) : ウィキペディア日本語版
シェルビー郡 (オハイオ州)[しぇるびーぐん]

シェルビー郡()は、アメリカ合衆国オハイオ州の西部に位置するである。2010年国勢調査での人口は49,423人であり、2000年の47,910人から3.2%増加した〔Quickfacts.census.gov - Shelby County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地シドニー市(人口21,229人〔Quickfacts.census.gov - Sidney, Ohio - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。
シェルビー郡はその全体で、シドニー小都市圏を構成している。郡名はケンタッキー州知事を務めたアイザック・シェルビーに因んで名付けられた。
== 歴史 ==
18世紀にアルゴンキン語を話すショーニー族インディアンがこの地域に入ってきて、言語的に関係のあるオジブワ語を話すアニシナーベのオタワ族を追い出し、北西に追いやった。ショーニー族には、東部の植民地で白人に追い出されたイロコイ連邦のセネカ族やミンゴ族も加わった。1792年、ヨーロッパ系アメリカ人開拓者ジョン・ハーディンがこの地域でショーニー族に殺された。初期開拓者は彼に因んで郡庁所在地をハーディンと名付けた。
シェルビー郡は1819年にマイアミ郡から分離して設立された。その中には長年ミンスターやニューブレーメンの町が含まれていたが、1848年にシェルビー郡とアレン郡の一部を合わせてオーグレイズ郡が設立されると、その中に入ることになった。
1846年バージニア州から「ランドルフ・スレイブス」と呼ばれた383人の自由黒人集団が郡内の主にラムリーに入植した。彼等は1833年までにバージニア州のプランテーション所有者ロアノークのジョン・ランドルフの遺志によって解放されていた。ランドルフは交通費と自由州の土地に入植する費用を出した〔Peter Finkelman, "Thomas Jefferson and Anti-Slavery: The Myth Goes On" , ''Virginia Historical Quarterly'', Vol. 102, No. 2 (April 1994), p. 222, accessed 14 March 2011〕。その解放はランドルフの遺志に対する異議申し立てが裁判所に出されたことで遅れたが、1846年に自由を得て移動してきた。ランドルフは40歳以上のものにそれぞれ10エーカー (40,000 km2) の土地を用意した〔David Lodge, "John Randolph and His Slaves" , Shelby County Historical Society, 1998, accessed 15 March 2011〕。当時の歴史書ではラムリーについて次のように記していた。「400人の黒人がおり(ヴァンビューレン郡区の人口の半分)、白人の隣人と同じくらい繁栄し、士気、宗教、知性においては白人に等しかった〔David Lodge, "Rumley" , from Howe's ''History of Ohio'' (1846), Shelby County Historical Society, 1998, accessed 15 March 2011〕」
1900年、この集団の生存者と子孫がランドルフ元奴隷協会を結成し(後にランドルフ奴隷協会に改名)、ピクワ近くのミッドウェイ公園で最初の同窓会を開催した。当初の開拓者の中から62人が参加した。彼等はバージニア州では奴隷制度の中で生まれていた。解放後に家族と共に小さな子供としてオハイオ州にやってきた。バージニア州のニックネームに因んで彼等はオールド・ドミニオンと呼ばれた。オハイオ州で生まれた者はオハイオ州民と同じく「バッカイ」と呼ばれた。その後長年にわたって同窓会がトロイとシェルビー郡催事広場で開催され、100人から300人が参加した〔David Lodge, "Randolph Slaves Reunion" , Shelby County Historical Society, 1998, accessed 15 March 2011〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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